考え方の変化その1
久しぶりの嬉しい感覚。いつぶりだろう。フランクや孝司さんが復活の糸口を掴めたと信じたいし、勢いに乗って逆転昇格を本当に掴みたい…。
現状は3位。2位磐田との勝ち点差は9。残り12試合で3勝差を返せるかどうか。幸いにも磐田とは直接対決が残っている。何とかそれまでに差を縮めたいところ。現実はかなり厳しいが…。
最近のアルビを見てて思うのは「自分、変わったな」ということ。昇格など対して特に。なぜそうなったのか、それがどうなのか、それを言葉にしてみます。
始めはとにかくポジティブだった。周りのサポーターの影響もあるし、僕自身が見始めたときは割りとどん底だったからというのもある。他所のチームのことやクラブを取り巻く状況をまったく知らなかったから。
失点したら「取り返そう取り返そう!」って叫んでた。負けたあとは「次絶対勝つよ!」って前向きだった。それしか選択肢がなかったカンジ。純粋だった。
反対に、野次やブーイングが許せなかったし、めっちゃ怖かった。「何で一生懸命やった選手にあんなことできるんだろう…」ってずっと思っていた。
しかしそんな後押しも虚しく、降格を味わった。その後も昇格できずに今に至る。その間、色んなものを見たし知ってしまった。
多くの選手との別れ、昇格ラインの存在、経営状況、色々なサポーターの考え方、不祥事…など。
純粋にただ選手の姿を見てたところから様々な情報が入り、それが考え方の変化に繋がってきたし、僕の中のサポーターの限界的なものも感じたのかもしれない。
冷めてはいないし、今でもアルビレックス新潟は生活の一部だし、アイシテルと言える。だけど、無邪気さやがむしゃらさは減ったのかもしれない。その結果、現実を見るようになったし、マイナスな考えも持つようになった。それがいいのか悪いのか、考えてみようと思います。
まとまらず長くなってしまったので、続きは次回に。ポジティブ、ネガティブそれぞれの比較をしてみようと思います。
アルビサポーターへの道のり③
今回も読んでいただきありがとうございます。頑張って更新しております…。
さて、前回でアルビサポーターになった流れは一通り書きました。今回はもう少し詳しく掘り下げてみようと思います。
第2のきっかけとした2017年のホーム開幕戦、試合結果は敗戦でした。しかも、アルビは無得点。そして、この2017年は結果的に降格をしてしまいます。
普通であれば、サポーターが減っていくような事象ばかり。なのに何故、僕はアルビサポーターとして今に到るのか。思い浮かんだ要素をあげてみました。
- 他に趣味が無かった
- 新潟への郷土愛
- 人との出会い
1はまあいいでしょう。当時は部活も辞め、土日にすることが全くない状況でした。
2について。これは進学で上京し、その後も都内に就職したことが強く影響している。離れてみてわかる良さというか…。進学や就職で新潟との縁が切れることが怖かったのかもしれない。ホームシック気味?なときもありましたし…。現に、僕にとってアルビレックス新潟は「新潟と自分を結ぶ存在」だと思っています。だからこそとても大事な存在というわけです。
(この新潟愛は、サッカー以外でも発揮していますが、それはまた別の機会に。)
3について。これが最も重要なのかもしれません。2017年のホーム開幕戦後にTwitterを開設。これが契機となり、ゴール裏観戦、ゲーフラ、アウェイ参戦、グループでの観戦などをすることができました。出会った皆さんが温かく接してくださり、今でも見かけたら声を掛け合う関係でいてくださっています。これには本当に感謝ですし、悔しさや嬉しさを共有する感覚はやはり何にも代え難いと思います。
もちろん、1人参戦にも良さがあると思います。否定するつもりはまったくありません!それでも、僕にとっては、試合に行く目的の3割くらいをサポ仲間と会うことが占めている気がします。
何故、敗戦後にサポーターになろうと思い、降格してもさらに色濃くなったのか。振り返ってみると、これらの要素が絡んだ結果だったのだと思います。どれか1つが欠けてもダメだったはず。
きっかけや理由は十人十色だと思います。サポーターになった時期も年数も濃度も。それらに正解不正解、偉い偉くないはないはず。思うように応援できないからこそ、原点に立ち返って改めて胸張ってユニフォームに袖を通すのもいいかもしれませんね。
『アルビサポーターへの道のり』終わり
アルビサポーターへの道のり②
アクセスしてくださってありがとうございます。地味にアクセス数気にしているので、読んでくださる方がいてくれると嬉しいです。
前回は前置きが長くなり、本題にたどり着くことができませんでした。前回をざっくり振り返ると、
父の影響でピクニック気分の観戦でアルビと出会う。小学生以降は、部活などで足が遠退き、興味すらなかった。という流れ。
では、いつのタイミングだったのか。
時は流れ、2017年。当時は大学1年の春休み。諸事情で部活を退部し、ホームシック気味で帰郷。そのとき父について行ってホーム開幕戦(vs清水)を観戦した。
久しぶりの現地観戦だったこの試合。観客数は30,000人超えだった。その光景と熱気がすごく頭に残り、その後もホーム戦に行くようになっていったのだった。
おそらく、この2017シーズンのホーム開幕戦が、自分にとって第2のきっかけになってくれたのだと思う。この試合に行っていなかったら、その後に続いていかなかったかもしれないから。
その後はTwitterを始めるなどサポーター活動を本格化。これも大きな影響だったと思う。ビッグスワンのNスタンドで見るようになったのも、ゲーフラを作るようになったのも、アウェイに行くようになったのも、父以外のサポ仲間と見るようになったのも、全てTwitterのおかげ。
皆さんもご存知のとおり、2017年は降格の年。それでもアルビサポーターとしてどんどん濃くなっていき、翌年はシーパスホルダーにもなった。そして、都内に就職した今もアルビサポーターを続けているのだ。
流れとしてはこんな流れ。次回、もう少し分析含めて振り返ろうと思います。
アルビサポーターへの道のり①
皆さんこんにちは。読んでいただきありがとうございます。
大分遅くなってしまいましたが、5月はメモリアルな月。
1993年5月15日。
— Jリーグ(日本プロサッカーリーグ) (@J_League) 2021年5月15日
28年前の今日。
Jリーグは生まれました。
みんなで、 #Jリーグ の話をしませんか?
SNSを通じて、声を聞かせて欲しいのです。
過去、現在、未来、なんだっていい。
本当は、スタジアムにあふれていたはずの声を。#Jリーグの日
また、スタジアムに声が戻ることを願って pic.twitter.com/L9RX6w9Doh
Jリーグ発足から28年、おめでとうございます!TLには、僕よりもずっとベテランなサポーターさんや、パートナー企業、後援会企業の皆さんの出会いのツイートをしみじみと眺めておりました。
20年前の今日僕は
— 野澤洋輔 Yosuke Nozawa (@013021) 2021年5月18日
ビッグスワンのピッチに立った。
3万人を超える人達が集まった。
あの日の僕の「初めて」は、
みんなの「初めて」でもあった。
これからもみんなと
同じ時間を過ごしたい。
そして、
日曜日はあの時と同じ相手。。。#ビッグスワン #20周年#5月19日#こけら落とし pic.twitter.com/x2mEc7HHlK
28年前、僕はまだ生まれていませんでした。市陸で戦うアルビレックス新潟もみたことがありません。ビッグスワンも物心ついたときにはあったな。なかったときの記憶がない。
アルビとの出会いのきっかけは、(ライトな)サポーターだった父親の存在。僕が小さい頃、家族でお弁当持って行った記憶がある。僕にとってはピクニック、父は試合観戦。アルビとはそんな出会い。それが小学生になるまで数回あった。
昇格は家族揃ってテレビで見ていた。テレビ越しのオレンジ一色のビッグスワンは今でも覚えている。ただ、小1の自分には何があったのかよくわからなかった。
小2でサッカーを習い始めると、練習と重なることが多く、足が遠退いた。中学からは部活があるからさらに。この時点で、アルビへの興味は皆無になってしまった。
これも古い記憶だが、「奇跡の残留」のとき、みぞれの中行こうとする父に「どうせ降格するんだから、行くのやめれば?」と馬鹿にしたこともハッキリ覚えている。 (今の自分だったらぶん殴ってますね。笑)
そもそも、中学からは陸上部に所属していたためか、ビッグスワンはサッカースタジアムではなく、陸上競技場という認識だった。
では、どのタイミングでアルビサポーターになったのか。長くなってしまったので次の記事で…汗
茨の道の途中
現地の皆さん、お疲れ様でした。
現地にいないのに迷いましたが、この気持ちは吐き出したいのでご容赦を…。
2連敗。キツいっす。アルビも自分の心も。「焦る段階じゃない」のは重々承知。でも、やっぱり現実は険しいと感じてしまう。昇格を目指す上で、連敗は避けなければいけなかったし、負けてはいけない相手だったと思うから。
どんなに良い内容でも負けは負け、審判が誰であろうと勝たなきゃいけない、落としていい試合なんてない。厳しいことを言えば、これらがすべてだと思います。勝ち点が多いチームが昇格なのだから。
おまけに、
自分もスタジアムに行っていれば…
声が出せていれば…
こんなどうしようもない環境が余計に悔しさを生む。
ただ、どこかで「負けてしまったことは仕方ない」と割り切る必要もあるのが現実。サポーターであればなおさら。サポーターは、手拍子を送り、(持っている方は)ゲーフラを掲げることしかなせる術はないのだから。
信じて応援する以外に術がないなら、それを貫くしかないでしょう。
悔しいし、焦る気持ちがかなり強いが、そこに落ち着く。チームを信じるしかない。現実も見るけど、自分のできることをする。 以上。
ゲーフラ作成中(いよいよ色塗り)
さて、いよいよ色塗りに入ります!
ここで感じるのは、布に絵の具を塗るのがいかに難しいかということ…。とにかく伸びない!だから消費量も多い…。
しかし、一番気持ちを込めるところです。頑張りましょう!
改めて、ゲーフラ作りで使うのはアクリル絵の具です。僕は初めて出会いました。耐水性や耐久性があるらしいです。
また、アクリル絵の具の中でも「アクリルガッシュ」を使います。他の物を使ったところ、下書きの鉛筆が透けて見えてしまいました…。
少し大きめの100均なら白や黒、赤といった基本的な色は売っています。ただ、オレンジは100均で見たことがないので、文具店や画材を扱うお店、ネットで調達を。(新潟市内ならムサシの2階がオススメです。)
絵の具が揃えば作業開始。水は使わず、絵の具だけを塗ります。塗り方としては「絵の具を置くイメージ」と教わりました。紙とは違い、絵の具が伸びないので納得です。
直線部分を綺麗に作りたい方は、マスキングテープを使う方法があります。
単純な文字(カタカナなど)はスゴく効果的だと思います。このやり方なら、下書きの線がゆらゆらしていても大丈夫。
ただ、ひらがなや画数の多い漢字、絵はテープを貼るほうが大変になります。この場合は、使わなくてもいいかもしれません。
アクリル絵の具は乾いた後に重ね塗りができます。やり過ぎは良くないですが、最終手段として、大きく飛び出たところは白で隠すのもアリです。
こだわる方は、一通り塗った後に重ね塗りするすると聞いたこともあります。僕はしたことありませんが笑
そんなこんなでついに完成!
お疲れ様でした~汗 今回のブログでは駆け足にはなっていますが、概ねこんな流れです。
多少はゲーフラ作成に興味を持っていただけましたでしょうか?気になった方は、ゲーフラを掲げている人に声をかけてみてもいいと思います!アルビ愛が溢れる方ばかりなので!
こんなご時世だからこそ、想いを形にしてみましょう!
ゲーフラ作成中③(下書き~布準備)
前回はデザインを作って印刷までいきました。今回は布が登場です!
購入したのは、白いシーチング生地。ブロードという生地でも大丈夫です。目の細かさが異なるのだそう…。手芸店に行ったことのない僕は、真っ先に店員さんに聞いて案内してもらいました笑
前回のポスター印刷で3×3の9枚に印刷した方は、1mくらい購入すれば足りると思います。
手芸店に布を買いに行く際は、ついでにこれ↓を買いましょう!
布用のボンドです。ミシンを持っていない自分、これに出会うまでは手縫いしてました…涙 格段に楽になるので、ぜひ購入しましょう。
ここからは、採寸、裁断、4辺の貼り合わせ、下書きです。この順番が毎回変わっているような気がします…。今回は、採寸→裁断→4辺貼り合わせ→下書きという順番で作りました。
まず、布の上に印刷した紙を置いて角を決めます。そして、4辺の折る部分を取ります。上下の辺は特に使うことが無いので、多くてもそれぞれ3㎝くらいあれば問題ありません。
大事なのは、左右の辺!ゲーフラの棒が通る幅にする必要があります。少なくとも4㎝くらいでしょうか…。多すぎは余白ばかりになるので注意。結局、上下は3㎝、左右は5㎝取りました。
次に、4辺を貼り合わせ(縫い付け)ます。順番は、下→左右→上の順。そうしないと、棒を通す穴がなくなります。ここで、先ほどのボンドの偉大さがわかります…。
そして、下書き。印刷した紙を下に置いて写します。白い布であればこんな具合で透けるので、鉛筆で書き写しましょう。色布は少し難しいかもしれないです。
この際、色を塗る工程でマスキングテープを使う方は、多少線がまっすぐでなくても大丈夫。使わない場合は、少し丁寧に写すほうがよいと思います。
全部を写せたら、いよいよ色塗りです!